表現の自由、もしくは限界

うちはAT-Xが観られる環境だったりするので、まぁ「ネタになるだろう」というくらいの軽い気持ちで観たわけだ、「School Days」最終回を。
内容はもう各所で語られていたり、ニコニコに上がっているだろうから言及しない(というか書きたくない)けど、放映中止上等というか、事件が無くてもハナっからそういうつもりだったんじゃね?としか思えないものだった……。
テレビ漫画とか漫画映画なんて言われていた時代を経て、アニメーションと呼ばれ作品として広く扱われるようになり、専門誌もでき、成人向けができたり、興行収入で日本映画トップになったり、一山当てようと深夜アニメがドカッと増えたり、制作構造上問題があってもOAしちゃう……といろいろ変革してきたアニメ業界だけど、ある意味そこへすんごく重い一石を投じる作品になってしまったかなと(ギリギリというか、ある意味超えちゃった表現だと思えたので)。
ただ単にスプラッターなものではなく、前後の繋がりから生理的に嫌悪するようなものを(ある程度わかって見るものとはいえ)OAしていいものなのか? という部分は正直ちゃんと考えて欲しかった*1
誰も想像できない結末で、視聴者をアッと言わせようという意図があったのだろうが、今の世の中でアニメよりも優遇されるであろう実写作品でも描き得ない壮絶な結末の描写は、どういう考えでTVアニメとして制作されたのか?まったくもって不可解である。
無論、すべてをちゃんと見ないで論じるのはいけないことかもしれないが、ある意味、伝説と化したことだけは間違いないでしょう。またさらにDVDの発売もこれからなわけで、そこでどんなことになっていることやら……。
もちろん、アニメという媒体に対して世間がどう反応するかある程度わかっているんだろうし、それ相応の覚悟(それこそメチャクチャ重〜い)で制作しているんだろうけど。
ということで「MUSASHI」に続いて、TVアニメとして制作者の意図がわからない作品がまたひとつ増えた。

*1:原作となったゲームとかOVAなら、あらかじめ買う買わないという選択はできるわけだし、無作為に見せられるものではないと思っている。その辺り、有料放送たるAT-Xも近いんだけど、当初の予定通りU局とはいえ地上波でOAしようとした作品ならばもっと公共性を鑑みなければならないはず、だと思うのです