弁護士の言う「正義」

ガラッと変わって、ちと真面目に、かつ重い話題。似つかわしくないし、面倒くさいのだがメモっぽくつらつらと思ったことを書いてみる。
様々な不法行為により被告となったものを守る弁護士がいる。
彼らは依頼者である被告の減罰を目的として活動するわけだが、イマイチその行いに納得がいかないことがある。特に最近。
オウム事件やら昨日判決があった奈良女児殺害事件とかで、彼らを担当する弁護士は「更正の可能性がある」とかいって、減罰を求めている。
だけど、そう言ってる弁護士たちは彼らが更正していくことを「期待」するだけで、決してその責任はとっていない(と思う)。
例えば、監禁王子の事件。以前の犯罪を担当していた弁護士は、彼が釈放後、自由奔放にしていることを放置し、追いかけることはしなかった。ゆえに事件は起こったと言ってもいいだろう。
もちろん、弁護士という仕事の範囲や個人のキャパがあるだろうから、そこまで面倒を見ろというのは無理な話であろう。ならば、何故そういうシステムを作ったり、考えたり、また確立する努力をしないのだろうか? もちろんやっているのかもしれないが、現状ではあまりにも知られていない。またそうなるという話もない。
つまり、彼らを更正させるシステムは現状では存在しないのだ。にもかかわらず、彼らは更正の可能性を訴える。何か矛盾してないか?
陪審員制度が始まって、自分がそれに選ばれ、その事件が被害者側に感情移入できるものだった場合。減罰という選択が出来るかどうか、不安でならない。ぶっちゃけ、殺人犯なら全部死刑と言ってしまうかも。
何とかならんのか、これ?