極刑では足りぬ

凄惨かつ異常。自分がいたかもしれない、もしくはいてもおかしくない場所で起きた通り魔事件にショックを受けたが、それ以上に亡くなられた方や怪我を負った方はさぞかし無念だと思う。
だけどこの国の司法は、おそらく犯人に対して、何の責務を負わせることなく、死刑を言い渡すだろう。無論それが責任の取り方のひとつでもあるのだろうが。
また死刑でいい、という関係者もいるだろうが、逆に「世の中が嫌になった」という犯人に対して、徹底的に世間や社会に向き合わせて、自らにおいて責任を取らせるのもまた償いの方法ではないだろうか。およそ形に見える責任をとれる人間ではないだろうし、またそういう境遇ではないだろうから、余計にだ。人生を短くするのではなく、一生のものとして罪を背負わせ、生かし続ける。それもまた償いの形だと思う。
……と、こうは書いているが、自分は死刑廃止論者ではない。けど裁判員制度が始まり、仮に自分がこの事件の裁判を担うことになったとき、どうするのだろうか? 少なくとも犯罪者の更生だけを信じて、被害者を冷遇してきたこの国の司法と照らし合わせて、納得のいく答えを出せるのか?
やはりいろんな意味で量刑というものを考え直す時期が来ているのかもしれない、と思うのだが。